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大須賀淳
2025.6.4 19:28その他ニュース

八幡和郎の「マチスモ」(男性優位主義)

本日配信の小林よしのりライジングVol.539「フェミサイドが男系カルトの未来か?」では、今後最良の典範改正が行われ「愛子皇太子」が実現してもその先にうっすらと感じていた不安が、メキシコの実例を元にした解説でより一層具体的なイメージへとつながる、非常に衝撃的な内容でした。

 

その中で出てきた「マチスモ」(男性優位主義)という言葉、昨日読んで非常に嫌悪感を感じていた、AERA DIGTALの記事における八幡和郎・国士舘大学大学院客員教授のコメントと、自分の中でダイレクトにつながりました。

 

八幡は皇統問題の議論における男系固執論者の代表格の一人ですが、記事中の下記コメントを読んだ時、軽く混乱するレベルで脳内が「?????」となりました。


「結婚しても皇族の身分を持つ女性皇族の子どもと配偶者を皇族とするかどうかは、いまだ意見が分かれています。しかし、皇族籍を持たなくとも、特に女性皇族のお子さまが、男子の場合は、いまある宮家の養子として家を継ぎ天皇を支えてゆくという道もあり得ます」

女性皇族の子どもは、いわゆる「外孫」。旧宮家や皇室と婚姻関係を持つ華族でも、「外孫」を後継者としたこともあり、日本社会ではそう抵抗感がない、と八幡さんは話す。

「愛子さまや佳子さまのお子さまが、『養子』などの形で皇族となり皇室を支えるとなれば、歓迎する人も多いでしょうし、現実味のある話です」


一見すると、あれだけ固執していた「男系」の拘りを取り払ったかのようにも見えてしまいます。

 

しかし、この中には(誤りではあっても)一応は「歴史に裏付けられた理屈」として掲げられていた男系血統よりも、さらにグロテスクな記述があります。それは

女性皇族のお子さまが、男子の場合」という一節。

 

固執者が主張する「男系血統」が途切れるはずの「女性皇族の子ども」であっても、「男子」であれば養子として皇族にしても良い、という弁です。

 

これ、「旧宮家系子孫の男系男子を養子に」という主張よりずっと強い、「男という性別」への強烈な執着を足場とした「マチスモ」です。

 

実は八幡、従来であれば真っ先に反応していそうな「読売提言」に関して、SNS上ですら全く発言していません(クローズな講演の場などは不明)。

 

元々この人物は「現実策」的なスタンスからほど遠く、「〝識者〟としてマウントを取れる場所を死守したい」という傾向が顕著ですので、「死活問題」にヒステリーを起こす〝産経界隈〟とも距離をとった上で「保険」的に先の引用のような発言を行ったのでしょう。

 

しかし、そのコウモリ野郎的行動が、自身の中の「マチスモ」をより一層鮮明にしてしまうとは、言葉とはなんとも残酷な物です。

 

八幡は同記事中で


「いまは、小室家の金銭トラブルの記憶が生々しく、眞子さんのお子さんが男子であっても皇族の養子となることには、反発も強いでしょう。そうはいっても上皇さまの『外曾孫』ですから、血統の重みはある。養子の候補者が旧宮家や、愛子さまや佳子さまといった内親王方のお子さまでも足りないとなった場合、特に男の子であれば、眞子さんのお子さんが浮上する可能性は十分に出てきます」


というコメントも発していますが、八幡は眞子さん・圭さん夫妻を日本からいびり出すような空気を煽った最大級の戦犯の一人。「アゴラ」というサイトの記事一覧を見ただけでも、この人物が小室夫妻に対していかに陰湿な言葉を撒き散らして来たかが、吐き気を催すレベルで明らかです。

 

八幡から滲み出る「男の陰湿さ」を目の当たりにする時ほど、自分が男という性別である事に居心地の悪さを強く感じる事はありません(他に倉山満とかも、まさに同じ穴のムジナ)。

 

皇統問題において、これから「静謐という欺瞞」がどんどん打ち破られて来ると、八幡のような保身のそぶりを示す者もどんどん増えて行くでしょう。そして同時に、「男系固執という〝コーティング〟」のさらに奥側にねっとりと存在する「マチスモという膿」がドロドロと流れ出してくる予感がして、背筋が寒くなります。

 

嫌で嫌でしょうがないけど、やせ我慢をしてでも「日本男児としての沽券をかけて」掃除して行かなきゃなあ、と感じています。

大須賀淳

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